2016年1月-2017年X月甲州街道を歩く

、○○○○○○○○○です。

2016年度は「甲州街道を歩く」シリーズの始まりです。
リーダーのTsutsuさんのお話によりますと、シリーズが今年度で終了するか否かは、天候と会員の頑張り次第で決まります。これまでの街道歩きは、近距離以外はチャーターバスを利用してきました。大変便利でしたが、昨今の高速バスを取り巻く様々な事情から費用が嵩むようになりました。安全性のためにはこれは大事なことです。会では、できるだけ電車を利用して全行程踏破を目指そうとしています。私自身も、健康に留意して全コース完歩できるよう頑張っていきたいと思います。

「甲州街道歩き」でHPを検索しますと、歴史や地理に詳しい方の優れた記録がたくさんあります。私のは適切な場所も欠如していくと思いますが、未熟を承知の上で、「山綾会仲間と甲州街道を歩いたよ!」という軽いのりで記録していきたいと思います。
まずは「お上りさん(わたしのことです)」の東京歩きから始めます。 

newsコース

集合場所: 相鉄線横浜駅改札口一番前 9:00
東京駅ー10:07 日本橋・・・10:30 大手町・・・11:00 桜田門・・・11:19 半蔵門・・・11:54 四谷見附・・・14:40 新宿・・・16:03 京王線初台駅
歩行時間:(予定)約4時間  (私の万歩計:28,954歩)
参加者:29名(そのうち男性は5名) 
           リーダー・サブリーダー:Tsutsuさん・Suzuさん


  1月21日といえば、暦の上では大寒です。
  この日はその名の通りの寒い日で、歩き始めて衣類調整をしましたが、ビルの谷間を吹く風は冷た  すぎてすぐ着込みました。
  日本橋から新宿まで、大都会の競うように林立する高層ビル群の中を、江戸時代の名残りを探しな  がら、楽しく元気に歩いてきました。


 「東京駅八重洲中央口」から「日本橋へ」


   
9:53                       10:01
東京駅八重洲中央口を出ました。日本橋三丁目交差点を左折し、日本橋高島屋前を右に見て直進していきます。 

 10:06  日本橋一丁目三井ビルディング
名称:COREDO(コレド)日本橋

 core(核)+EDO(江戸)=江戸の中心  
 
 10:07  「日本橋」到着
 「東京市道路元標」説明は左端にあります

  「日本橋」の上を走る「首都高速道路」「獅子の像」
  「日本橋」から「大手町」へ <国道1号線 永代通り>
 「日本橋」から少し戻って「日本橋交差点」を右折、永代通りを直進、「大手町交差点」を左折
  大手町」から「桜田門」へ <国道1号線 日比谷通り〜内堀通り>
 
 10:35  進行方向左手に見えた「東京駅丸の内駅舎」
 10:46 左手に帝国劇場  
10:51  どこまでも続くお堀端を、桜田門に向かって
 10:54 左手に検察庁  10:57  その先に法務省(赤い建物)と警視庁

11:00  警視庁と中央奥に国会議事堂 
 
11:00  桜田門 目の前には警視庁

 11:06 お堀端をランニングする生徒たち

 11:07 少し遅れて走る女子生徒のグループ
  桜田門」から「半蔵門」へ <国道20号線 内堀通り>
 
 
  11:13 最高裁判所
 
  11:15 国立劇場
 
  11:19 「半蔵門」 最近のTVで、「半蔵門」からが正式な甲州街道という説明があったそうです。
    江戸城側からすると、緊急時の避難経路としてのスタート地点だったことは間違いありません。
 

半蔵門近くの「歴史と文化の散歩道」で休憩:
誰もが楽しく歩けて、東京を知る』ことができればという願いを込めて、
昭和58年に東京都が制定した散歩道。23コースがある。それぞれの地域の歴史・文化・見どころを巡る。
私たちが休憩したのは
宅坂・千鳥ヶ淵散歩
(桜田門−靖国神社2.3Km)
かもしれません。

  半蔵門」から「四谷三丁目消防博物館」へ <国道20号線 新宿通り>
 

11:51 四ツ谷駅

11:54 四ツ谷駅近くにある櫓台跡の石垣 
    四谷見附(麹町)側に残っている
 

 11:55  江戸城外郭問の一つ「四谷門」の位置

 11:58 四谷一丁目を右手に入った新道通りで、
    「本日の昼食はこちらのお店です!」
     「エッ! どこ? どこ!」
      

 12:00〜12:48  たっぷりの昼食タイム

都会での予約はどこも断られ、本日はたまたま奥の座敷が空いていました。リーダーのTsutsuさんは、お茶まで運んでくださっています。「写真など撮ってる場合じゃないでしょう!」・・・
気の利かない私です。

私しか注文しなかった「あられ丼」870円也!
おいしかったけど量が多すぎて半分残しました。
もう若くはないのだと悟りました。

  13:18〜13:37 四谷消防署・消防博物館

  4F 消防の変遷 馬牽き蒸気ポンプ

 1F エントランス  消防ヘリコプター
        思ったより広々としていました。

 屋外の消防ヘリコプター

 消防博物館10F展望室より:東 四ツ谷駅方面

  南 赤坂御所 信濃町駅方面 東京都庁 絵画館
 
  西 新宿御苑 新宿駅方面 (方向が違っていたらごめんなさい)
 四谷三丁目消防博物館」から「内藤新宿太宗寺」へ <国道20号線 新宿通り> 
 消防博物館を出て新宿通りを四谷四丁目交差点まで行くと、四谷区民センターの東に「四谷大木戸碑」「水道の碑(いしぶみ)の記」が並んで立っています。
区民ホールを左に見て国道20号を離れ、430号線新宿通りを歩いて行って、新宿一丁目西を右折すると、間もなく太宗寺に到着しました。
 

13:56 四谷四丁目交差点の西南角にある四谷区民センターの東側にある「四谷大木戸碑」 
 
  13:56 「四谷大木戸碑」の隣にある
      「水道の碑(いしぶみ)の記」
 「四谷大木戸碑」 <立札より>
四谷大木戸は、甲州街道を通って江戸に出入りする通行人などを取り締まるための関所だった。
四谷大木戸碑
は、昭和34年11月、地下鉄丸ノ内線の工事で出土した玉川上水の石樋を利用して造られた記念碑である。
実際の大木戸の位置は、ここより約80u東の四谷四丁目交差点のところで、東京都指定旧跡に指定されている。

「水道の碑(いしぶみ)の記」
玉川上水開削の由来を記した記念碑で、高さ460p、幅230p。上部の篆字(てんじ)は徳川家達、撰文は肝付兼武、書は金井之恭、刻字は井亀泉によるもので、表面に780字、裏面に130字が印刻されている。碑の表面には明治18年の年紀が刻まれているが、建立計画中に発起人西座真治が死亡したため、一時中断し、真治の妻の努力により、明治28年(1895)に完成したものである。<裏面銘文>

「玉川上水水番所跡」
玉川上水は、多摩川の羽村堰で取水し、四谷大木戸までは開渠(かいきょ)で、四谷大木戸から江戸市中へは、石樋・木樋といった水道管を地下に埋設して通水した。水番所には、水番人1名が置かれ、水門を調節して水量を管理したほか、ゴミの除去を行い水質を保持した。 以下省略・・・

 14:07 「内藤新宿浄土宗太宗寺」着     左が「本堂」 右が「閻魔堂」
 
 
門を入ってすぐ右手に「銅像地蔵菩薩」
 
 
 
三日月不動像・布袋尊像がある「不動堂」

正面から見た「閻魔堂」 閻魔像・奪衣婆像がある
 
 

 「内藤家墓所」
 
 「三日月不動尊」
  内藤新宿太宗寺」から「京王線初台」へ <国道20号線> 
 
    
  14:39 JR新宿駅  14:56 文化服装学園前の甲州街道沿いにビルに挟まれて「箒銀杏」が立っていました。
    立っている姿が箒を逆さにした形なので、この名前がついたのだそうです。葉が茂った姿もよさそうですね。 
 

15:04 「東京都庁」 
 
 
    
 東京都第一本庁舎ツインタワー地上45階には展望室・飲食店・物販店がありました。 
 
 ツインタワー地上45階展望室から眺めたビル群 近代建築の美に圧倒されました。
 
  遠く正面に見えるのはスカイツリーかしら
 
  
 
  大山・丹沢方面
 
    新宿パークタワー   都庁を15:35に出ました。

  16:01   東京オペラシティ前通過

  16:03 新国立劇場前通過
 
  16:03 京王線初台駅で解散・・・17:40に帰宅しました。
 
  

 甲州街道
江戸幕府により整備された五街道の1つ。5番目に完成した街道。江戸日本橋から内藤新宿、八王子、甲府を経て下諏訪に至る街道。下諏訪で中山道に合流する。現在は国道20号が継承している


 「元標の広場」にある
日本国道路元標」のレプリカ


 石に刻まれた内容
 
日本橋は1603年に創架され、江戸幕府により五街道の起点として定められました。
現在の日本橋は、1911年(明治44年)に架橋されたルネサンス様式の石造二連アーチ橋で、四隅の親柱の銘板に刻まれた「日本橋」及び「にほんはし」の文字は最後の将軍徳川慶喜公の揮毫によるものです。
1972年、日本橋中央の『東京市道路元標』がこの広場に移設・保存されました。その据えられていた跡には、内閣総理大臣佐藤栄作氏(後にノーベル平和賞受賞)の揮毫による「日本国道路元標」が埋標されました。この複製も同時に制作・設置されたものです。
東京市道路元標』は、1999年に米寿を祝う日本橋とともに国の重要文化財に指定されています。


 桜田門外の変
 
安政7年(1860年)3月3日のゆきの朝、大老井伊直弼の安政の大獄などの弾圧政策を憎んだ水戸・薩摩の浪士ら18人が、桜田門外で直弼を暗殺した事件


  半蔵門
 日本橋を起点とし、江戸城内堀の南側を回って半蔵門へ通じ、半蔵門からはまっすぐに伸びている甲州街道ですが、半蔵門は、江戸城に危機が及んだ際に甲府城への避難道の裏口という役割もありました。この近くに伊賀の忍者服部半蔵の屋敷があって、その名がついたという説もあるようです。


 「内藤新宿太宗寺の文化財」
太宗寺は慶長年間初頭(1596頃)に僧太宗の開いた草庵を前身とし、のちの信州高遠藩主内藤家の菩提寺として発展した寺院です。
かつての内藤新宿の仲町に位置し、「内藤新宿の閻魔」「しょうづかのばあさん」として、江戸庶民に親しまれた閻魔像・奪衣婆像や、江戸の出入り口に安置された「江戸六地蔵」のひとつである銅像地蔵菩薩など、当時の面影をのこす多数の文化財が伝えられています。以下省略・・・

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