2016年1月-2017年X月甲州街道を歩く
10月下旬から11月上旬にかけて、身近な人たちに健康問題が出てきて、落ち着くまでに趣味の行事のキャンセルが続きましたが、幸いなことにほぼすべてが良い方向に向かい、久しぶりに長時間の外出が可能になりました。
いつものように予定より1時間早めに家を出て、目的地:笹子駅に到着するとすぐ、前回欠席した駅近くの「笹一醸造元」を見学し、仲間の到着を待ちました。
今回は甲州街道一の難所と言われている笹子峠越えです。
リーダーの筒井さんの説明によりますと、高低差が400㎡もあり、ほぼ東京タワー(333m)を上って下ってくる感じになるそうです。また下見のため大月市(?)か甲府市に電話でお聞きしたところ、クマが出没することがあるということで、「今回は下見をしていませんので、何か道中気付いたことがありましたらおっしゃってください。」と話されました。また昼食は笹子峠になること、途中にお店はないこと、トイレも駅間にないこと、クマに注意することなど、これまでにはない注意事項が続きました。
さて、今回の道中歩きですが、道のりは長かったですが、上りも緩やかで、笹子峠の急登も短時間で済み、急な下りの箇所も少なく、街道は整備されていて、道標もポイントごとにあり快適でした。
心配した熊にもあわず、秋晴れの中、美しく色付いた紅葉を眺めながら、楽しく語らいあい、落ち葉でふかふかの林道歩きを堪能してきました。むしろ小仏峠の方が登りに弱い私にはきつかったように感じました。
集合場所・時間: JR笹子駅改札口 9:01(着) JR笹子駅 9:15 スタート・・・9:31 黒野田宿本陣跡・・・11:00着 矢立の杉 11:25発・・・11:53着 「笹子隧道」 11:59 峠越え開始・・・12:06 <笹子峠(標高:1,096m)で昼食>12:30 発 ・・・12:43 甲斐大和側「笹子隧道」着、笹子峠越え終了・・・14:17 ~14:19 駒飼宿(こまかいじゅく)・・・14:49着 JR甲斐大和駅 15:26発・・・16:31着 高尾駅・・・八王子駅・・・町田駅・・・自宅到着は17:45 でした。 歩行時間:(予定) 約5時間 参加者:17名(そのうち男性は3名) リーダー・サブリーダー:筒井さん・鈴木さん 私の携帯電話の万歩計は33,436歩、万歩計は34,045歩を示していました。 |
日野宿で購入した甲州街道の宿場案内の 一部です。 今回は山梨県大月市の黒野田宿から、 笹子峠を越えて甲州市の駒飼宿へ、笹子川を 越えて甲斐大和駅まで歩きました。 |
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「JR笹子駅」から「普明院」へ (国道20号線) 今回の山行 仲間が到着するまでの自由行動 |
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7:55 JR笹子駅プラットホームに降り立ちました。 |
JR笹子駅は無人駅で、 入口に物騒な張り紙がありました。 |
かくして、我がリーダー筒井さんのザックにぶら下がっているものは 「①お守り ②クマよけの大音響の鈴 ③山綾会の創立20周年記念のバンダナ ④同15周年記念の名札(片側に個人名・反対側に会の名前)」と相成りました。 |
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「笹子駅」前は直売所やいくつかの記念碑がありましたので撮影してみました。(左側参照) また350m離れたところに前回欠席した甲州街道歩きの「笹一醸造元」があると調べてきました。 駅前の駐在所で場所を伺いましたところ、駅からすぐ近くに看板が見える距離でしたので、見学してきました。 「笹一醸造元」から帰ってきましたら、仲間の一人が駅前へ歩いて行くところでした。前回「笹子餅みどりや」に立ち寄った際、名物の「笹子餅」が彼女の前の人で売り切れになったので、残念に思い購入してきたということでした。まさかそのために一足早く駅に到着したわけではないでしょうが、10個入りと5個入りの笹子餅があり、後者を購入していらして、私もご相伴にあずかりました。上品なお味の和菓子でした。「笹一醸造元」の酒粕をもちいた酒饅頭だそうです。(左側参照) |
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9:15 笹子駅スタート 9:30 国道20号線左手に「笠懸け地蔵」 |
9:31 続いて立派な冠木門は「黒野田本陣跡」 「明治天皇行在所跡」の碑が立っています。 |
9:33 笹子川に架かる「黒野田橋」を渡ると |
9:33 国道右側に「臨済宗 妙心寺派 普明院」 石碑に「江戸日本橋ヨリ25里」と書かれていて、 反対側の塀の脇に「黒野田の一里塚」柱がありました。 |
普明院の中に笹子芭蕉句碑がありました。 「行くたびに いどころ変わる かたつむり」 |
9:43 「道の駅 甲斐大和 5km」 車で笹子トンネルを抜ければの話です。 |
「普明院」・・(国道20号線から山梨県道212号日影笹子線‥峠道‥県道‥遊歩道)・・「矢立の杉」・・(甲州街道を通らず県道212号日影笹子線)・・「笹子隧道」入口・・「笹子峠」・・「笹子隧道」出口・県道212号へ・・・「甲州街道峠道」・・・県道212号へ | |
9:46 「馬頭観世音」の石碑 |
9:57「笹子峠 矢立の杉」へは 200m先で国道20号線を左折 笹子峠は4km先 |
10:00 国道20号から山梨県道212号日影笹子線へと左折、国道20号はこの先400mで笹子トンネル |
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左写真: 10:06 「山口橋」を渡って 右写真:10:08「甲州街道」「矢立の杉」の 立札のところで県道を離れ右折し峠道へ |
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10:08 立札を右折したところ、直進します。 右の写真: 10:10 峠道を歩む |
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10:13 大きな砂防ダム、左へと道なりに歩む |
10:28 再び県道へ |
10:32 「新田沢」を渡って |
10:34 「ここから恩賜林です」 |
10:37 「笹子峠自然遊歩道」の説明板と 遊歩道の案内板 |
10:38 案内板に従って 県道を離れ、笹子峠遊歩道へ |
サブリーダー鈴木さんのお勧めの構図 |
こちらも。きれいな紅葉があちこちにありました。 |
10:48 本日最初の木の橋を渡りました。 |
10:51 国土地理院一等水準点 九九号 H 899.84m 日本測量標石保全 神奈川県 |
10:52 ここは「三軒茶屋跡」、 「明治天皇御野立て所跡」と 「顕彰の記(左に記載)」 |
10:53 「三軒茶屋跡」の上にある仏像 「人とお猿?」「赤ちゃんを抱いたお母さんと 子供かも」「両脇に子供がいるよ」 などの言葉が飛び交いました。 |
10:57 二つ目の沢を渡って |
「明治天皇御野立て所跡」 1880年(明治13年)に山梨巡幸の際、笹子峠の手前(大月側)で休息をとられた。 |
11:00 「矢立の杉」に到着、 11:25まで休憩 |
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「天然記念物 笹子峠の矢立のスギ」 |
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左に記載したように、立派な矢立の杉ばかりでなく、歌手の杉良太郎氏に因んだ歌碑や説明文もありました。 壊れかかったゼンマイ式音声ガイドで少しでもメロディーを聞こうと無駄な努力をしてみたりしているうちに、中休憩の時間が過ぎていきました。 |
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本来の甲州街道はこの方向、つまり、 |
「身代わり両面地蔵」の後方ののぼり旗の方角ですが |
皆が疲れているようなので、リーダーは山梨県道 212号日影笹子線歩きを選んでくれました。 |
11:27 笹子峠まで紅葉の中の 平坦な県道歩きの開始 |
11:37 「笹子トンネルまで1km」「落石注意」 |
11:53 「笹子隧道」着 |
1938年(昭和13年)笹子峠の頂上のほぼ真下を貫く笹子隧道(全長:240m)が開通された。 |
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「笹子隧道」の説明文の立札がありました。 |
「 笹子雁が腹摺山 笹子駅」 |
「この付近にクマ出没 注意必要」 |
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11:59 「笹子隧道」の立札と「笹子雁が摺腹山」の道標の中間くらいの所から、 甲州街道の最大の難所と言われた雑木林の中の笹子峠越えが始まりました。 |
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12:06 <昼食タイム>12:30 「笹子峠」と書かれた道標のあるすぐ手前で昼食タイムとなりました。ここの標高が1,096mのようです。この真下を隧道が通っています。 直前の登りがほんの数分でしたがかなり急で、しばらく続くだろうと覚悟していましたら、すぐ終了してあっけなかったです。 ここから私たちは甲斐大和駅方向に下っていきます。最終目的地までまだ半分の道のりです! 道標の上から順に 「雁ヶ腹摺山 約1時間10分」 「大和村日影 かいやまと駅 約2時間30分」 「カヤノキビラノ頭 約1時間30分」 「笹子駅 約2時間」 リーダー達は小高いところで、村上氏は道標をバックに、私たちはちょっと広い場所に腰を掛けてお弁当を広げました。 |
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12:30 笹子峠下り開始 |
12:43 笹子峠下り終了、県道212号へ出る。 |
県道212号日影笹子線、この左前方に |
甲斐大和側の笹子隧道が見えます。 ここから甲府市 |
県道へ出たところでリーダーから「ちょっと待っていて」という声が掛かりました。リーダー・サブリーダーが県道を下っていき、間もなく戻ってきました。「100㎡ほど下ったところに東屋のある展望スペースがあり、そこから八ヶ岳連峰の赤岳、横岳が良く見える」という情報を得ていてチェックしていらっしゃったのです。結果は木が大きくなりすぎ全く見えないので立ち寄らないということなりました。 上の左側写真の右手のガードレールの切れ目のところから、「甲州街道峠道」が始まり下って行きました。 |
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12:46 「甲州街道峠道」を下る。 |
12:51 左の白い道標に「峠(天神社)➡清水橋」と書いてあり、「清水橋」方向に下りていきました。 |
昼食をとった笹子峠から下りに入った時、右手の小高いところを見上げた時に赤い小さな鳥居が目に入りました。あれが天神社の一角だったように思われます。 | |
12:53 ほんの数分でしたが急な下りでした。 | 12:54 |
12:56 再び「甲州街道峠道」を標識に従って どんどん下りました。 |
13:02 小さな木の橋を渡りました。 |
13:06 「甲州街道峠道」の標識が あちこちにありました。 |
13:09 小さな沢を石伝いに渡り |
13:09 すぐ林道に出ました。 |
13:13 この丸木橋は谷が深いので細いロープにつかまって笹子沢川を一人ずつ慎重に渡りました。 |
13:19 左側の 「甲州街道峠道」を下りてきました。右側には「自害沢天明水」と書いてありました。 |
13:25 「甲州街道峠道」の終点です。 ストックなど荷物の整理をしました。 |
村上氏がご覧になっている中央の看板に 「笹子峠」についての説明文と「甲州峠唄」が 書かれていました。左側参照。 |
前方は 「清水橋」、左側へと渡っていきます。 |
13:31 「清水橋」からの県道歩き |
13:36 県道右側に立札がありました。 ここが「甲州道中 史跡 桃の木茶屋跡」 |
青空と白い雲、紅葉した山、その間を縫う県道212号日影笹子線 |
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13:43 「大持沢橋」通過 |
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13:46「飯田コンクリート(株)山梨工場」横通過 |
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14:02 「大和村 小中学校林」を左に見て |
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14:09 「駒飼宿の集落」が見えてきました。 このあたりの標高は700mくらいで、笹子峠から東京タワー分下ってきたことになるとリーダーの説明あり。 |
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14:13 「天狗橋」を渡りました。 |
14:15 駒飼宿入り口右側の「芭蕉句」 左に記載 「秣負う 人を枝折の 夏野哉」 |
14:16 「日影上バス乗り場」を右に見て |
県道左側は笹子川沢 |
14:17 「甲州道中 史跡 駒飼脇本陣跡」標柱の 脇に建つ家、古めかしいです。 |
「甲州道中 史跡 駒飼脇本陣跡」標柱 県道左側です |
14:19 「明治天皇御小休所趾」の碑と「甲州道中 史跡 駒飼本陣趾」の標柱 県道左側 |
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本陣の向かい側の大きな「萬霊塔」の後方上に建つのが「国宝山養眞寺」です。 |
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14:22 県道から旧甲州街道へ |
下りていきました。 |
14:23 下りてすぐ右手にあった道標 「大和十二景 甲州街道駒飼宿」 |
14:24 大回りして |
14:25 「日影古道橋」を渡りました。 |
14:29 笹子トンネルに入る直前の上下2本の 「中央自動車道」の真下を抜けて |
14:32 道端の地蔵さんを見過ごし |
14:33 旧甲州街道を歩いて行きました。 |
民家の紅葉もきれいですね。 |
14:36 これにて本日の甲州街道めぐりは 終了となりました。これから国道に出て 甲斐大和駅に向かいます。左参照 |
「笹子駅」前の様子 忠魂碑 「元帥陸軍大将正二位勲一等 功一級子爵川村景明書」 |
「笹子隧道記念碑」とその由来 「陸軍大将伯爵桂太郎書」 |
「甲州街道 阿弥陀海道宿」 山梨県東部JR八駅トレッキング 推進協議会 |
悲しみの森・癒しの森トレイル 【荒廃林(悲しみの森)】と【手の入った森(癒しの森)】の対比から、現状の林業における社会的問題を考えていくためのトレイルです。 |
「笹子駅前直売所」 |
笹子駅前から眺めた紅葉 |
名物「笹子餅」 「矢立の杉」が描かれている |
「笹一醸造株式会社」 |
笹子駅前から眺める看板 「甲斐が誇る銘醸 笹一の倉へようこそ」 「阿弥陀海宿」はこの辺にあったようです。近くの笹子川に架かる橋は「阿弥陀海橋」でした。 |
創業者 天野久の胸像 |
猿橋の 「紅富士太鼓道場」のトラックの後ろに書いてあった「ギネス認定 直径4m80cm 世界一の大太鼓」はかつてここにあったそうです。今は、あちこち傷みが進み修理中ですが、修理が済んでもここに戻ってくるかどうかは不明だと従業員の方からお聞きしました。 |
「酒遊館」 従業員の方がミーティング中でしたので、「入れます」と言われても遠慮しました。 |
「恩賜林」とは 山梨県HPより |
明治の末、本県では大水害が相次ぎ、このため県民は、大変苦しい生活を余儀なくされていました。 |
「顕彰の記」 |
過ぐる明治十三年六月十九日大帝本縣御巡幸に際し 畏れ多くも此の地天野治兵衛家に御野立あらせられ聖蹟を永久に残させ給へりと雖も 時代の変遷と文化の発達による中央線の開通は 此の地を過ぐる者をして絶無ならしめ 為めに聖蹟も又口碑に傅ふるに過ぎざりき 聖蹟の主 天野治兵衛氏 之を慨嘆する事多年其の効空しからず 陸軍大将菱刈閣下の御揮毫を得て 記念碑を建立し以て之を永久に傅へんとす 昭和十二年十一月七日 ※明治天皇御野立所跡記念碑除幕式における笹子村長天野五六様祝辞より抜粋 |
県指定天然記念物 「笹子峠の矢立のスギ」 |
・・・山梨県HPより・・・ 「笹子峠の矢立のスギ」 昭和35年11月7日指定 大月市笹子町黒野田字笹子1924-1 木樹は古くから有名なスギで、甲斐国志に「巨木所在ニ多キ中ニ林戸神社ニ一基称橋立杉、篠子嶺ニ一基称箭立杉各々七囲許ニ餘レリ」とあり、なお、二代広重の名画にも「甲州矢立杉」として残されている。 規模は根廻り14.8m、目通り幹囲9.0m、樹高は26.2mである。樹幹の中は上まで空洞となっており、空洞の直径は目通りで2.3mほどである。 ・・大月市観光協会HPより・・ 「笹子峠の矢立のスギ」 (上記にない情報のみ記載) 樹齢1000年を超す矢立ての杉は、戦国時代合戦に赴く武士が必勝を祈願して、この木に矢を射ったことからその名前がついたと云われている。甲州街道が開通し人々の往来も盛んになり、旅人たちの憩いの場となった。 矢立ての杉は、歌手の杉良太郎さんの歌にも唄われた縁あって、杉の近くには、杉良太郎氏により寄贈された身代り両面地蔵菩薩がまつられております。 毎年年事大祭が行われ、杉良太郎・伍代夏子ご夫妻が揃ってご祈祷されています。 身代わり両面地蔵は、人々の平和と幸福をいつも見守ってくださっております。 ・・・wikipedia より・・・ 歌川広重 『諸国名所百景 甲州矢立の杉』 ・・・撮影した写真より・・・ 身代り両面地蔵菩薩 「矢立の杉」の歌碑 作詞・作曲:大地 良(=杉良太郎) 唄 :杉 良太郎 ゼンマイ式音声ガイド (残念ながらほぼ壊れていました) 寄贈の菩薩と歌の作曲等の紹介 |
「笹子峠」 |
「笹子峠と笹子トンネル」 ・・・wikipedia より・・・ 今日の甲州街道は新笹子トンネル(1958年=昭和33年開通 全長:2,953m)を通過するが、旧道は笹子峠を経由していた。現在、峠への道筋は山梨県道212号日影笹子線として残っている。また、この県道にほぼ平行して「笹子峠自然遊歩道」がある。この遊歩道が旧来の甲州街道にほぼ相当すると考えられる。 街道を通る武士が武運を祈ったという「矢立の杉」もこの遊歩道沿いにある。 県道の頂上にある笹子隧道の直上が甲州街道最大の難所と言われた「笹子峠(標高:1,096m)」である。峠を越えると甲州市である。 黒野田宿の本陣跡の立派な門の隣には、明治天皇関連の石碑がある。明治13年(1880年)に明治天皇が甲州街道と東山道(中山道)を巡幸した時の記念碑である。 |
「甲州街道峠道」の終点の 看板より |
「笹子峠」 徳川幕府は慶長から元和年間にかけて甲州街道(江戸日本橋から信州諏訪まで約五十五里)を開通させました。 笹子峠はほぼその中間で江戸から約二十七里(約百粁)の笹子宿と駒飼宿を結ぶ標高壱千五十六米、上下三里の難所でした。峠には諏訪神社分社と天神社が祀られていて広場には常時、馬が二十頭程繋がれていました。峠を下ると清水橋までに馬頭観世音、甘酒茶屋、雑事場、自害沢、天明水等がありました。また、この峠を往来した当時の旅人を偲んで昭和六十一年二月十二日、次のような唄が作られ発表されました。 「甲州峠唄」 作詞 金田一 春彦 作曲 西岡 文郎 あれに白いは コブシの花か 峠三里は 春がすみ うしろ見返りゃ 今来た道は 林の中を 見え隠れ 高くさえずる 妻恋雲雀 おれも歌おうか あの歌を ここは何処だと 馬子衆に問えば ここは甲州 笹子道 この唄の発表によって旧道を復元しようという気運が高まり昭和六十二年五月、清水橋から峠まで地域推進の一環として、日影区民一同と大和村文化協会の協力によって荒れていた旧道を整備して歩行の出来る状態にしました。 佐藤 達明 文 |
芭蕉句 「秣(まぐさ)負う 人を枝折(しおり)の 夏野哉(なつのかな)」 |
広い野に道も見分けられないほど夏草が深く生い茂っています。馬草を背負って家路につく草刈り男を目印に、なんとか野を通り抜けてここまで来ました。 |
「甲州街道歩き終了」から 「甲斐大和駅」まで |
14:37 「日川大和橋」を渡って まっすぐ国道⒛号を進みました。 |
14:40 「甲斐大和町徳波歩道橋」 を渡って県道203号へ |
14:47 「諏訪神社」を左に見て |
14:49 「甲斐大和駅」到着 |