「産直野菜レストラン ペッタンくん」で昼食 |
綾瀬市からチャーターバスでおよそ7時間、梅雨空の中、一関市道の駅に到着。
「産直野菜レストラン ペッタンくん」で昼食をとりました。 |
お店の代表的な料理が「和風もちセット」で、8種類のお餅が出ます。
リーダーのTSUさんがバスの中で注文を取り、携帯電話でお店と連絡を取ってくれました。 |
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「和風もちセット」:
中心のなます(大根おろし)を囲んで、ごま・あんこ・ずんだ・生姜・くるみ・いなり・エビ・ねぎの8種類のおもちがありました。
私は、ねぎとあん2種類のおもちに大根おろしがついているうどんを注文しました。
とてもおいしかったです。 |
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一関地方のもち文化「いわいもち膳」について: (掲示板より抜粋) |
伊達藩時代に始まる。武家の年中行事が商家に伝わり、更に豊作と家内安全を祈る農家の行事に加えられていった。 |
一関地方では現在も祝儀、不祝儀でもち本膳料理が使われている。 |
祝儀には、あずきもち・納豆もち・ごまもち・雑煮もちの3〜4種類になます(大根おろし)や漬物が加わる。 |
不祝儀には、納豆<糸を引く>の代わりに、くるみもち・豆腐もちが盛り付けられる。
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達谷窟毘沙門堂:
国指定史跡 征夷大将軍 坂上田村麻呂公創建(802年) |
達谷窟に砦を構えて良民を苦しめる蝦夷の征伐を、桓武天皇が坂上田村麻呂に命じ、801年に平定する。
戦勝の御礼に田村麻呂が窟に毘沙門堂を建立。
802年には別當寺として奧眞上人(おうしんじょうじん)を開基として達谷西光寺を創建する。 |
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現毘沙門堂は幾たびもの火災にあい、昭和36年に再建され、創建以来5代目となっている。 |
毎月3日の月例祭、春秋の大祭があり、元旦から8日まで行う修正會(しゅしょうえ)は慈覚大師から1000年以上も続いている神事である。 |
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阿弥陀如来=岩面大佛(がんめんだいぶつ): |
約33mの大岩壁に刻まれた磨崖佛(まがいぶつ)は、陸奥守源義家公が、馬上から弓張で彫り付けたと伝えられている。 |
大仏さんの高さ・16.5m、顔の長さ・3.6m、肩幅・9.9mは、全国で5指に入る。 |
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蝦蟆ケ池辯天堂(がまがいけべんてんどう)):
中島に祀られる辯才天(べんざいてん) は慈覚大師作と伝えられている。 |
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姫待不動堂:
蝦夷の悪路王が京から姫を攫って来て、逃げようとした姫を待ち伏せした瀧を「姫待滝」と人々が名付けた。
姫待不動堂は姫待滝の本尊として祀られたもの。
桂材の一木彫り。
岩手県有形文化財。 |
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金堂:
大火で焼失したり、廃仏毀釈で破棄されたのち、昭和62年に再建着手、平成8年に完成する。ご本尊は薬師如来。
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達谷窟毘沙門堂へ 達谷窟毘沙門堂 岩面大佛 蝦蟆ケ池 姫待不動堂 金堂 |
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特別史跡・特別名勝・世界遺産・天台宗別格本山の毛越寺(もうつうじ): |
2011年に「平泉ー仏国土(浄土)を表す建築・庭園および考古学的遺跡群」として世界遺産に登録された。 |
中央の大泉ケ池を廻るように、宝物館・芭蕉夏草の句碑・築山・開山堂・鑓水(やりみず)・常行堂(じょうぎょうどう)および南大門跡・講堂跡などが、平安時代の優美な浄土庭園に配置されています。 |
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毛越寺の白鹿伝説: (パンフレットより抜粋)
慈覚大師が東北巡遊中この地にさしかかると、一面の霧に覆われてしまった。
足元に白鹿の毛が落ちていたのでたどっていくと、前方に白鹿がうずくまっていて、近づくと姿が消え、白髪の老人が現れ、「この地に堂宇を建立して霊場にせよ。」と告げられた。
大師は薬師如来の化身と感じ、一宇の堂を建立した。 |
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柳之御所資料館と柳之御所遺跡: |
柳之御所資料館は、柳之御所遺跡の斜め向かいにある資料館で、柳之御所遺跡から発掘された遺跡を展示しています。 |
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今宵の宿 雲上いで湯 須川高原温泉 |
須川温泉ホテル 夕食の膳 さすが温泉、熱いです! |
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