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明けましておめでとうございます2016年度はこのスタイルでいきますので、よろしくお願いいたします! 

新しいライフスタイルをご提案します

今年度も「七福神めぐり」からスタートとなります。初回は「鶴見七福神めぐり」です。
また、今年度は「甲州街道を歩く」シリーズが始まります。
これまで「東海道」「中山道」「日光街道」と旧街道めぐりが行われてきましたが、残念ながら仕事の都合で、それぞれ5回、2回、6回しか参加できませんでした。日光街道は初回から6回連続参加をしていましたが、後半は仕事の条件が変わったようで、以後は全欠でした。
今回は引退後とあってゆとりの日々が続き、実施も出席可能な曜日に組まれていますので、できる限り参加して行程を記録していきたいと思っています。

これが最後と思っている10回目の富士登山が、ここ2年間実施できていません。こちらも今年こそ足腰を鍛えて登ろうと心に誓っているところです。

鶴見七福神めぐりコース

集 合:相鉄線横浜駅改札口 9:20
コース:(リーダー:Tsutsuさん サブリーダー:Suzuさん)
京浜横浜駅…9:45 鶴見市場駅…9:50 横浜熊野神社<福禄寿布袋尊>…10:25 鶴見神社<寿老人>…10:41〜11:30 鶴見駅東口「さくら水産」で早めの昼食 …11:46 〜12:25 鶴見総持寺<大黒尊天>…12:54 東福寺<毘沙門天>…13:18 正泉寺<恵比寿神>…13:46 安養寺<福壽辨財天>…14:15 駒形天満宮…14:22 松蔭寺<布袋尊>…15:02 JR横浜線大口駅で解散 
歩行時間:約4時間 (万歩計:25,263歩 携帯電話の万歩計:24,079歩)
参加者:22名(そのうち男性は6名)
 
     
 


         横浜熊野神社<福禄壽>   ・人望長命 ・福徳円満 
 春のようなぽかぽかと暖かい日差しの中、鶴見市場駅に降り立ち、市場銀座商店街を歩いて行くと、間もなく「横浜熊野神社」に出ました。熊野神社境内では「鶴見七福神めぐり」の御朱印台紙が600円で販売されていて、高いなとは思いましたが、しっかりしたものでしたので記念に購入しました。上のテーマの「鶴見七福神」の御朱印台紙と行程地図の画像は台紙の表と裏面を拝借したものです。(左端の欄に説明があります。)
 熊野神社は弘仁年間(810〜824) 紀州熊野本宮の祭神を分霊し創建されました。祭神は国常立尊(くにのとこたちのみこと)。境内には江戸時代の蕉門俳人、加舎白雄と大島寥太が旧東海道の名勝鶴見橋を詠んだ句碑があります。















 








 
 美しい流線型の鶴見橋を渡って、鶴見神社に向かいました。途中に「寺尾稲荷道」の複製と、鶴見図書館前には
「旧東海道」の説明板
がありました。

   
 

「寺尾稲荷道」の複製の左側にある
標識の内容は、左端に記載済み

 

        鶴見神社<寿老人> ・長寿 ・名誉 ・財宝  
  7世紀初め創建。横浜最古の神社。旧杉山大明神。祭神は五十猛命(いそたけるのみこと)。
 4月29日は鎌倉時代から伝わる民俗芸能「鶴見の田祭り」が行われます。境内石群が地域の文化や歴史を伝えています。
 清明宮に三島由紀夫が祀られています。






































































稲荷神社





大鳥神社




その他たくさんの神社が
並んでいました。


      さくら水産」で昼食タイム
 
昼食はリーダーTsutsuさんが前もって確認し、早い時間帯に到着、鶴見駅東口店のさくら水産」でいただきました。
 まだお客さんの数も少なく、お店の奥のテーブルが空いていましたので、ゆったりと腰を下ろし、ランチメニューを見て思い思いにお好みのランチを注文しました。
 私は定食C(ご飯と味噌汁、漬物、ノリ、生卵、カレーコロッケ、ウズラの卵と豚肉の揚げ物の串刺し)を選びました。
 昼食をいただきながら、各種の話題で盛り上がったランチタイムでした。

   
 

     大本山總持寺<大黒尊天> ・有福 ・五穀豊穣 ・有徳知足  曹洞宗の大本山
                          建物は大祖堂  本尊:釈迦如来
  昼食後、歩行開始して十数分後に正面のビルの屋上に「鶴見大学」の看板が見え、その前を左に歩いていくと、間もなく曹洞宗大本山總持寺に到着しました。山門をくぐってびっくり、鶴見にこのように巨大で威風堂々とした寺院があったとは! 寺院の諸堂の写真はスライドショーでじっくりご覧ください。
 




     

 


 「三樹松関(さんじゅしょうかん)」
と書かれた総門をくぐると、目に飛び込んできたのが以下のサインでした。
 まず、「ドローン」という言葉に目が引き付けられました。昨年から新聞紙上や、テレビで取り上げられるようになったものなので、最新情報をキャッチし、早めの対応をする寺院だなと思って近付きましたら、更に驚いたのが、なんと7か国語で注意書きが書かれているではありませんか! 海外ではよく目にする光景ですが、日本で、しかもお寺さんでこのような国際的な注意書きを拝見するなんて、ほんとに「ビックリポン!」でした。
 


    諸堂を巡り、その壮観さに圧倒され続けましたが、その他にも驚くことがいくつかありました。
 その一つが日本最大と言われる木彫りの大黒尊天のおられる香積台(こうしゃくだい)という総受付をする建物の中に入った時のことでした。建物の中に入ったのは、ここと最後の太祖堂だけでした。
 まず入るときに「撮影禁止」という張り紙がどこにもないことに気付きました。靴を脱いで、中央廊下の奥まで進みますと、大黒尊天様が安置されているところに出ます。
 お掃除中の若いお坊さんを呼び止めてお尋ねしました。すると、撮影禁止の場所には必ずそのような張り紙があるはずなので、ない場所は自由に撮影してもよいということでした。続けておっしゃるには、「わたくしはそのような張り紙は1度も目にしたことはございませんが…。」「例えば、大黒様も撮影してよろしいのですか?」「大丈夫ですよ。ご自由にどうぞ。」お言葉に甘えて大黒様と、玄関から入って左側にある売店と休憩所を撮影しましたが、HPに載せるのは恐れ多いのでやめることに致しました。
 本格的に中に入ったのはこのお堂だけでしたが、外国人のお坊さんもいらして、百間廊下(ひゃっけんろうか)でもお一人お見かけしました。再度、国際色豊かな寺院だなと思いました。
 最後に下の写真の太祖堂という立派な本堂客殿の入り口から中に数歩入り、この時期に病に臥せっていた家族の健康をお祈りしてすぐ出ましたが、流石にカメラを内部に向けることはできませんでした。


















         「葬頭河の婆」の小さな祠
 大本山總持寺から次の東福寺までは徒歩約25分くらいの距離でしたが、東福寺のすぐ近くに、年代を経た立派な樹木がそびえ、その近くに「葬頭河の婆」の小さな祠がありました。立札には「葬頭河の婆 ソウズガのおばあさん(奪衣婆、懸衣嫗ともいう) 祈れば目鼻耳口の病に効力有りと云ふ」と書かれていました。 
 奪衣婆(だつえば)は、三途の川(葬頭河)の渡し賃である六文銭を持たずにやってきた亡者の衣服を剥ぎ取る老婆の鬼だそうです。剥ぎ取った衣類は、懸衣翁という老爺によって衣領樹にかけられ、衣の重さにはその者の生前の業が現れるので、その重さによって死後の処遇を決めるとされているようです。(後半はwikipediaから一部引用)
 あの立派な木も三途の川のお婆さんと関係があるのでしょうか。そのような想像をしてしまう範囲に立っていました。

   



   東福寺<毘沙門天> ・厄除 ・勝運 ・子宝成就 ・縁結び  真言宗             

 











  東福寺 山門












   東福寺 本堂


















   修行大師













     東福寺 心経塔
 

















     子育観世音

















   慈悲観音













  庚申塔と各種札所になっている事を示す看板
 門から長い階段を登ると目の前に本殿があります。本尊は如意輪観音。1087年に創建。
 堀河天皇の皇子誕生祈願成就の子育観音霊場として古くから信仰を集めています。
 弘法大師像、他の観音像も境内にあります。
 昭和初期には盛況だったという「浜七福神」霊場でもあり、松尾芭蕉・飯田九一の句碑や花月園遊園地名残の石灯籠などもあります。



     正泉寺<恵比寿神> ・清廉 ・商売繁盛 ・豊漁 ・海上安全   真言宗
  東福寺から鶴見の保育園前を通り、 京浜急行花月園前駅
への歩道橋を渡って駅構内に入り、出口から歩道を10分ほど歩くと目的地「正泉寺」に到着しました。
 寛永元年(1624)の開創。本尊の薬師瑠璃光如来は春日仏師毘首羯磨(びしゅかつま)作と伝えられています。大鯛を担ぐ恵比寿神は江戸城に新鮮な魚介を納めていた生麦漁師の心意気を伝えています。波切不動明王で武相不動尊霊場です。

 


   正泉寺を出て4分ぐらい歩いたところにある民家の塀に「生麦事件発生現場」の看板が掛かっていました。
 生麦事件とは、幕末の薩摩藩士によるイギリス人殺傷事件。文久2 (1862) 年8月 21日、島津久光の行列は生麦村付近で騎馬のリチャードソンら4名と行き交い,1名を斬殺,2名を負傷させた事件。


  
 生麦駅に隣接する生見尾(うみお)踏切は、京急線のほか、JR東海道本線、横須賀線、京浜東北線が通過する大踏切で、特異な構造になっているため、開かずの踏切と言われているそうです。午前7〜9時、午後4〜7時は車両通行禁止となっています。
 電柱には「生見尾踏切」の廃止は困ります」という内容の商店街の方々の要望が書かれていました。

 私たちは「生麦駅」の階段を下り、踏切手前の道を次の目的地「安養寺」に向かって歩みました。気温はあがり、うだるような暑さになっていました。





   
安養寺<福壽辨財天> ・学問弁舌 ・伎芸 ・財福 ・病苦厄除   浄土宗
 
1492年(明応の頃)創建。本尊は阿弥陀如来。弘法大師作といわれている辨財天は、江戸時代から女性や商人の信仰を集めてきた。「関口日記」の関口家菩提寺。日本初のトマトケチャップ創案者清水興助も眠る。

 

安養寺山門


安養寺本堂

福壽辨財天堂
 



          駒形天満宮
 安養寺を出ると、リーダーのTsutsuさんが、「最後の松蔭寺は野越え、山越えだから大変よ。」とおっしゃったので、それなりの覚悟はしましたが、少し急こう配の道路が続いただけで、25分後には目的の地に到着していました。途中で「駒形天満宮」に立ち寄りました。

 


  松蔭寺<布袋尊>
・寛容 ・開運 ・良縁 ・子宝   臨済宗
 
 建武元年(1334年)に鎌倉の円覚寺、建長寺に歴住した仏寿禅師の開創。退隠後幽棲の地として此に草庵を結び正統庵と号したのが松蔭寺の始まりといわれています。旧浜七福神霊場、今は鶴見七福神の布袋尊として、正月の七福神めぐりで御開帳されます。本尊は釈迦如来。5月3日の入道まつりは有名。
 境内には、横浜市の古木名木指定のサルスベリ、タラヨウがあります。タラヨウは葉書の語源の木です。

 












      松蔭寺山門
 
















松蔭寺本堂

 


















松蔭寺
義堯入道尊

 


   松蔭寺を出てから約30分後に大口駅西口に到着し、15:02分に解散しました。予定より1時間早かったです。天候にも恵まれ、各寺院で開運・健康・幸せを祈り、1年の良きスタートを切ることができました。

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