今年は珍しく続けて2か所の七福神めぐりをすることになりました。効果が倍加するのかどうかは年末に判断することにいたしましょう。 空は晴れ風もなく、七福神めぐりには絶好の日和日となりました。 参加者の36名という数字は、これまでで最高だそうです。そのうち14名が男性の参加者で、C-1のイベントとしてはこちらも最高です。いつもは2名から、せいぜい5名どまりですので。 今回は事前の下調べが出来ていなかったので、写真撮影等で失敗の多い山行になってしまいました。 神社紹介は「南はだの村七福神と鶴亀めぐり実行委員会」制作の「南はだの村七福神と鶴亀めぐりご朱印帳」の資料を利用させていただきました。 |
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南はだの村七福神と鶴亀めぐり | |
秦野駅集合 平成19年に世界的建築家、安藤忠雄氏の設計で改築された本堂。 寺院としては、ずいぶんモダンな建物だなとは思いましたが、安藤忠雄氏の設計とはつゆ知らず、雑な角度の撮影になってしまいました。美的センスゼロの私だと証明済み…です。 すぐ隣に今泉名水桜公園があり、「太岳院池」と呼ばれて親しまれているそうです。これも富士山に気を取られ、見落としました。(-""-)" |
曹洞宗亀王山 太岳院(福禄寿と亀) 秦野市重要文化財指定の木像十一面観音像 を納めています。 福禄寿 |
太岳院の園庭から眺めた富士山、「真白き富士の峰」にしばし心を奪われました。 実際は、こんなに大きくは見えません。心の中で見た富士で、拡大切り取りしています。上のタイトルの富士も今回撮影したもので、秦野から見えるイメージとしては適切な大きさだと思います。 |
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尾尻八幡神社(親鶴) 創立年代不詳、源頼朝の頃に現在地の鶴疇山(つるとしやま)祀られていました。 ご神体は馬上の像。親鶴の御朱印を押しました。 |
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西大竹獄(にしおおだけ たけ)神社 鶴疇山(つるとしやま)八幡宮の氏子でしたが、正保年間尾尻村より分村、桃山時代より尊崇していた御霊社を嶽神社と改名し、独立氏子となりました。 子鶴の御朱印を押しました。 |
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震生湖湖畔にある「福寿弁財天」の鳥居 |
日本三大弁財天の総本山奈良の天河弁財天の 分霊を頂く神社。弁天様を覗き見る参拝者 |
震生湖:1923年9月1日の関東大震災の時、渋沢丘陵の一部が崩壊しできた自然湖、湖周辺は神奈川の野鳥地50選に選ばれている。湖岸から釣り糸を垂れている人、舟で釣りをしている人もいました。 |
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11:10〜11:50 福寿弁財天近くの林で昼食 |
「秦野雑木林を守る会」が手入れをしている。 |
天台宗井光山 西光寺(毘沙門天) 天文年間(1530)中興、明治以前は旧平沢村総鎮守御嶽、八坂神社別当を務めた。 本尊は弥陀三尊(阿弥陀・観音・勢至)で、脇本尊として不動三尊像がある。 |
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西光寺(毘沙門天) |
毘沙門天 |
御嶽(みたけ)神社 (恵比寿) 創立年歴は不詳。建久三年(1192)の頃より神社前の参道を御嶽道と称し、平沢村の鎮守であった。境内には秦野市文化財指定木である樹齢八百年余りの大けやきが二本ある。 慶長13年(1608)に家康公が鷹狩りに来た際に、当社に参拝、社殿の改修を命じ、翌年に改修した。昭和51年に本殿を除き全社殿を木造銅板葺とした。本殿は慶長年間に改修された当時のもの。 |
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御嶽神社山門 |
御嶽神社 |
12:31 八坂神社に立ち寄る 神社の創立年月日は不祥、四百年前より当地にある。 欅(けやき)の大木は約一千年を数える。 社殿は昭和42年御嶽神社新築の際、古い社を移築したもの、昭和60年屋根は銅版葺きとした。 御祭神は須佐之男之命及び大国主大神。 御嶽神社が本務(管理)しています。 八坂神社とけやきの大木 |
出雲大社相模分祀(大国様) 明治21年に現在の秦野市の渋沢、峠地区に建立され、昭和50年に現在位置(秦野市平沢)に移転した。祭神は大国主之大神、事代主之大神。 境内には湧水「千年の杜の水」が湧き出ている。 広い境内では四季折々のイベントが催され賑わいを見せます。 私たちが訪れたときは、境内には秦野市制60周年記念「大相撲秦野場所」(平成26年10月17日実施、場所:秦野市総合体育館)の前夜祭や、当日の写真がたくさん掲示されていました。特に草山宮司は第70代横綱日馬富士の名付け親で、奉納横綱土俵入りも出雲大社相模分祀で行われています。その堂々とした力強い写真にも圧倒されました。横綱はここ数場所怪我に悩まされていますが、1日も早く恢復して全盛期の相撲に戻ってほしいと願いました。 |
第70代横綱日馬富士の奉納横綱土俵入りの写真 |
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曹洞宗 大澤山 浄圓寺(布袋尊) 本堂再建棟上は寛政12年(1800)、北条氏綱に仕えた和田兵庫の子、和田石見が大永年間に開いた寺。和田家は現在も存続している。本尊は室町時代後期頃の作と言われる薬師如来。 本堂は前一間が吹放しで、その吹放し・礎磐・湾曲繋虹梁は黄檗様の影響がある。黄檗様の影響がある県内唯一の建築物。中央鏡天井には雲竜絵の見事な天井絵がある。 |
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浄圓寺(布袋尊) |
本堂と開祖「道元禅師」の石造 |
白笹稲荷神社(寿老人) 関東三大稲荷のひとつ。創建年不詳。創建当初は白篠稲荷という小祠であったと伝えられる。1774年(安永3年)に新たに伏見稲荷を祭って再建された。神社のキツネは、農作物の外敵、ネズミを食べてくれるため、春の耕作の始めに田神(たのかみ)として迎えられる食べ物の神様の使いと考えられていた。毎年2月の初午(はつうま)には、五穀豊穣を祈って祭りが行われ、各地から大勢の参拝者が訪れる。 『寿老人』は 長寿・財宝・名誉・病気平癒を授け、人々の安泰と健康を守護する神様。 私たちが訪れたときは参道にはさまざまな露店が並んでいました。 |
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参道に並ぶ露店 |
白笹稲荷神社 |
万歩計持参の会員の話によりますと、本日のこれまでの歩数は19,700〜21,000歩だったようです。 |
南はだの村七福神と
鶴亀めぐり
貰い損ねそうになった
完歩賞
うっかり者の私と完歩賞
今回ばかりでなく、時々やらかすうっかりミスを、またまた今回もやってしまいましたね。
最初の訪問地「太岳院」で福禄寿と亀のご朱印を押すべきところを、ご朱印帳も、周囲の人の動きも気に留めていなかった私は、福禄寿を押していただいただけで満足してしまいました。
七福神めぐりの最後に、7福神+1亀+2鶴=10個のご朱印になるところを、1個空欄が残って、やっとミスに気付いたのでした。
というよりは、私のご朱印帳を覗き込んだ仲間の1人が気付き、教えてくださったのです。
すぐ別の仲間が、リーダーのMr. Hik0に伝え、たまたま「はだの村」を1周して秦野駅に戻るところでしたので、駅の近くで皆さんの足を止めてくださり、2人で徒歩数分の太岳院に戻り、最後の亀を押してくることができました。
完歩賞は諦めていたのですが、このような配慮をいただいて、小田急秦野駅北口1階の名産センターで記念の品をいただいてきてくださり、おっちょこちょいの私も無事持ち帰ることができたのでした。
ささやかな記念の品ではありますが、今年の完歩賞はとても粗末には扱えません。