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パソコンにも徐々に慣れてきましたので、今年はデザインを変えてみました !

登山 : 山綾会



集 合:JR北鎌倉駅円覚寺側出口 10:00
コース:
10:00 JR北鎌倉駅 … 10:05 浄智寺…<葛原ガ岡ハイキングコース>… 10:26 たからの庭 … 10:40 天柱峰 … 10:50 葛原岡神社 <10:52〜11:30 葛原岡公園で昼食タイム>…<大仏ハイキングコース>… 日野俊基の墓 … 12:37 大仏切通 … 13:02 カフェテラス樹(いつき)ガーデン … 13:05 長谷トンネル … 長谷大谷戸 … 13:23 佐助稲荷神社 … 13:46 銭洗弁財天・宇賀神社… 14:06 化粧坂
(けわいざか) … 14:09 源氏山公園 …14:27 海蔵寺 … 岩船地蔵 …<亀ヶ谷切通>… 長寿寺 … 北鎌倉駅
歩行時間:約4時間 
参加者:24名 (そのうち男性4名)

 2月の山行計画に入っていましたが雨で中止となり、再度計画されたものでした。
GWの連休明けで、いつもの人出はなく、大仏ハイキングコースに入ると緑の樹木の下はひんやりとした空気が漂い、ウォーキングには丁度良い状況でした。
 海蔵寺は水と花のお寺と言われ、季節を通して見事な庭園が見られるということですが、私たちが訪れた時も、蘭の一種、セッコクをはじめ、色とりどりのシャクナゲやつつじが目を楽しませ、疲れを癒してくれました。岩船地蔵と長寿寺はカメラの電池切れで、残念ながら写真は撮れませんでしたが、次の機会にしっかりカメラに収めてきたいと思います。 

10:00 JR北鎌倉駅円覚寺側出口集合
  
 右手の樹木は円覚寺のものです。
      

 10:05 浄智寺惣門 
 
 浄智寺の新しい山門(鐘楼門) 

 10:26 シェアアトリエハウス
       たからの庭 

10:40 右の「天柱峰」と書かれた標石と左の石塔のある天柱峰(標高:97m)
を通過する。
 
 10:50 葛原岡神社鳥居
  

 葛原岡神社の本殿と
昇運の神龍(右中央)

 12:37 山肌を削って作った大仏切通

 13:02 
長谷トンネル前右側に「カフェテラス樹(いつき)ガーデン」があります。後日インターネットで調べたら、壮大な森林に囲まれたラピュタの城の様な喫茶店でした。

 13:05 長谷トンネルを抜けて

 13:11 長谷五丁目17を
     大仏ハイキングコースを通って 
 
 13:18 道標がありました。
 「 →源氏山、←大仏、↓佐助稲荷 」

 13:19 リーダーは速いですね。写真をとりながらの私は相当遅れていそうです。

 13:23 佐助稲荷神社到着 
 
 佐助稲荷神社の拝殿
 
 佐助稲荷神社の霊狐泉
(れいこせん)
 
  佐助稲荷神社の鳥居

13:46 銭洗弁財天宇賀福神社
(銭洗弁財天)奥宮
 
 奥宮の境内に湧く泉の水「銭洗水」で
ザルに入れたお金を洗いました。
 14:06 化粧坂(けわいざか) 
看板より:
(簡単にまとめました。)
 鎌倉の北西から武蔵へ抜ける「鎌倉往還上ノ道」入り口に当たり、交通の要塞だった。新田義貞の鎌倉攻めでも戦場になっている。「吾妻鏡」にも小町屋や売買所に適した地と書いてある。
 坂頂上は葛原岡と呼ばれ、日野俊基が処刑された場所である。発掘調査では多数の火葬跡が発見された。
 
   14:09 源氏山公園と源頼朝像
  
1965年に源頼朝の鎌倉入り800年を記念して公園として整備され、頼朝像が建てられた。

 14:27 海蔵寺本堂 
 
  海蔵寺 鐘楼
 
  海蔵寺 宇賀神弁財天を祀った雨宝殿

 海蔵寺 心字池 

セッコク

  つつじとシャクナゲ
 

information店舗情報

    
   
 本日であった花


浄智寺境内に咲く花
ハクウンボクかニセアカシアかと
話題になりました。前者らしいです。
草花もダメな私は樹木はさっぱり
わかりません。


拡大しました


 10:28 「たからの庭」を出て
 まもなく「シャガ」の群生



  簡単な社寺・他の紹介

浄智寺

臨済宗円覚寺派
1283年創建
本尊:三世仏(阿弥陀如来・釈迦如来・
弥勒如来)
鎌倉七福神の布袋尊

シェアアトリエハウス たからの庭
 古民家を再生したシェアアトリエハウスで喫茶もあり、陶芸・創作和菓子 手毬・草木染・煎茶教室・他さまざまなイベントが毎週開かれています。

葛原岡神社
創建:明治20年
祭神:後醍醐天皇の忠臣、日野俊基
 日野俊基は1333年建武の中興を計画し、葛原が岡で捉えられ、無念の最期を遂げました。
 辞世の頌:
  秋を待たで葛原岡に消ゆる身の
   露のうらみや 世に残るらん

大きな亀がいました。

佐助稲荷神社
 祭神 宇迦之御魂神
(うかのみたまのかみ)
 
神徳 農漁商工業繁栄、生活の守護神


看板より:
 
伊豆の蛭ガ小島に流されていた源頼朝が病に伏していた時、「かくれ里の稲荷」と名乗る翁が夢枕に立ち、平家討伐の挙兵を促しました。
 後に幕府を開いた頼朝は、かくれ里に祠を探しあて、稲荷神社を建てたと伝えられます。幼少の頃佐殿(すけどの)といわれていた頼朝を助けたので、「佐助」の名を付けたといわれています。
 参道登り口に縁結びの十一面観音が祀られています。

看板より:源十朗彌十朗事
  (簡単にまとめました。)
 昔、源十朗という魚商人がいて、ある日由比ヶ浜を通った時、犬に追われた狐が担いでいた籠の中に飛び込んできた。哀れに思い助けた夜、夢に現れた狐が「お礼にきました。魚商人をやめて、左介谷
(さすけがやつ)
で蘿菊
(らふく)を作るとよいことがあります。」と言うので、それを実行した。
 
その年の冬、鎌倉に疫病が流行り多くの人が亡くなっていった。ある人の夢に神様が現われ、「左介谷の源十朗の作る蘿菊を購入して食べればすぐ治る」とのお告げがあった。その通りになったので、鎌倉中にお告げを広め、蘿菊は値上がりし、源十朗は大金持ちになった。
 狐の教えに感謝し、稲荷明神の社を建てたのが現在の神社です。


霊狐泉
(れいこせん)
看板より:
 佐助の稲荷山は往古(むかし)より麓の田畑を潤す水源の地なり。生命の基のこの湧水を人々霊弧の神水と称え家々の神棚に供えて稲荷のご神徳を戴くなり。
 今に至るも絶えず湧き出づる霊弧の泉なり。

 
銭洗弁財天宇賀福神社御由緒
看板より:(簡単にまとめました。)
 佐助ケ谷の奥にある銭洗い弁財天は霊顕あらたかなるを以って広く世に知られています。
 源頼朝公は平家を討伐して鎌倉に幕府を樹立したが、永い戦乱によって国民の生活は苦しくなっていた。頼朝公は国民の苦しみを取り除こうと、日夜神仏に祈りを捧げた。
 ある年の巳の月の巳の日に、老人が夢枕に立ち、「私は隠里の主、宇賀福だ。西北の方向に仙境があり、綺麗な泉が湧いている。その水を使って神仏を祀れば、悪鬼も退散し、国は平穏に治まる。」と言って消えた。頼朝公はその泉を見つけ、岩窟を掘らせ、宇賀神を祭り、その水を使って供養すると、国は治まり、人々の暮らしも豊かになった。
 北条時頼公もこの信心を受けつぎ、霊験あらたかなる日を調べて、人々に広めた。 この時弁財天を信仰するものが、持っていたお金を洗い清め、心身を清めれば、不浄の塵垢が消えて清浄の福銭になると言い、実践したのが銭洗いの始まりです。

海蔵寺
看板より:
 鎌倉時代、七堂伽藍を持つ規模の大きい寺があったと伝えられますが、鎌倉幕府滅亡時に消失し、その後、応永元年(1394年)に鎌倉公方足利氏満の命で、上杉氏定が心昭空外を招いて再建され、扇ガ谷上杉氏の保護を受けて栄えました。
 この寺には多くの言い伝えがあります。空外は那須の「殺生石」の話で有名です。
仏殿の薬師如来坐像は「啼薬師」、「児護薬師」といわれ、胎内に仏面を収めており、啼薬師伝説があります。
 門前には「千代能が いただく桶の 底抜けて 水たまらねば 月もやどらじ」と伝えられる「底脱の井」や、鎌倉時代の遺跡である「十六ノ井」もあり、水の寺といわれています。
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